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2017年5月 6日 (土)

熊本地震 の記憶。。。本震

地震が少ないと言われている九州、熊本で再度震度7を記録した翌日、
誰もが今後は余震が続くのみで徐々に揺れも収束するだろうとおもっていたことでしょう。

私自身もそう信じて疑わず
前日の疲れからが心地よい眠りについていたところでした。

4月16日午前1時25分
前日までのそれとは比べ物にならないくらいの大きな揺れにビックリして目が覚めました。
「なんだこれは?!」と思った瞬間に停電。
あぜ道を走るKトラックの荷台の上か、はたまた遊園地のアトラクションのような激しい揺れ

今寝ている部屋は倒れてくる家具もないのでとりあえず
子供たちの上から自分もかぶさるようにして毛布をかぶり揺れが収まるのを待ちますが。

揺れと揺れの合間に2Fにいる旦那と声を掛け合って(揺れがひどくで動けない)
無事を確かめます。
これはもう、電気、ガス、水道全部だめだろう・・・
私たちも避難所に行くことになるのかな・・・・

次の行動に移ろうにも揺れが収まらず、恐怖とどうしようもなさから
天井に向かって思わず「もうえいやろ!しつこい!」と叫びますが、その声も轟音でかき消されるほどでした。

一息ついて時計を見たら午前3時前。

テレビをつけると午前1時半の地震が益城、西原村、最大震度7。 その後も何度も大きな揺れを感じ、そのたびに阿蘇で最大震度7、阿蘇大橋が崩落、熊本城も大きな被害、
八代で火災発生、宇土市役所が倒壊の恐れなどの情報が入り、

「ここが震源!ここが最も被害の大きな場所」というのが定まらない現状

自分が一視聴者ではなく、画面から流れてくる映像側にいるんだという恐怖
熊本、九州はどうなってしまうのだろう・・・

その後も震度5クラスの余震が何度も襲いますが、私以外の家族はなぜか熟睡し、
緊急地震速報がテレビや携帯から流れようが誰も起きない。

ご近所さんは荷物をまとめて車に乗り込んでどこかに移動されてるようでした。
私はただひたすら、夜が明けるのを待ちながら、
「ただいま●●町で震度●の地震がありました。おちついて行動してください」という役場の放送に耳を傾けてました。
真夜中の役場の放送は大変ありがたく、勇気づけられました。

やっと夜が明けて6時半くらい、ご近所さんが外の割れモノの片づけをされてる音を聞きつけ、私も外に出て何人かと声を掛け合いました。
ご近所づきあいの大切さを痛感しました。

近所の空き地に何世帯かで車で非難したり、公民館に行った方が多かったようです。

幸いにも我が家は外壁のタイルがはがれおちたのと、内装の壁紙にひびが入ったくらいでしたが、ご近所は瓦が落ちたり、塀が倒れたり、ガラスが割れたり、家の中も割れモノだらけのお宅が多かったです。

断水になると言う話だったので、トイレのためにお風呂に水を貯めますが、浴槽の底に砂がたまってました。

我々が住んでいた町は最大震度6弱でしたが。
5強と6弱でこんなにも揺れが違うものかとびっくりしました。

7なんでどれだけの揺れだったのか。。

そして生まれて初めて「前震」という言葉の存在を知ったのです。
その後も何度も気象庁の青木さんのお姿を拝見することになりました。

 

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